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【番組レビュー】もしも、原爆ドームが残っていなかったら 〜広島〜


広島で絵を描く人

広島で、27年間にわたり原爆ドームを書き続けている一人の被爆者がいる。

そのお方は原廣司さん(当時 79歳)。

原さんは、今年になりとうとう3,000枚を書き上げ、今でも被爆体験の語り手となり、絵を描きながら被爆体験を次世代に伝えているそうだ。

(中国新聞 11/8/6日 記事より)

広島の原爆ドームは世界遺産だ。以前、NHKの番組で、この世界遺産の歴史をまとめていた事をおもいだした。そして、その内容の記録と、今感じている事を、8月のこの日に書いておきたいと思いブログにまとめることにした。

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広島市民の誇りだった

66年前に投下された原子爆弾により破壊されたドーム型の建物は、当時のままの状態で、今も広島の中心部にたたずんでいる。今はこのドーム型の建物は『原爆ドーム』と呼ばれ、遺構として現代まで残された。

被爆前、この原爆ドーム(以下、原爆ドーム)は、大正3年に完成した「広島県産業奨励館」だった。当時は、とてもモダンな建物で、広島の産業と文化を担ったこの建物は市民の誇りだったという。しかし、1945年8月6日のあの日、一瞬の原爆により中心部だけを残し破壊されてしまった。

そして、その姿が、今も原爆ドームとして残っている。

戦後、焼け野原の広島は、復興に向かい順調に進んでいったのは、誰もが知る歴史の事実であろう。しかし、実はこの原爆ドームだけは破壊された状態でしばらく残されたままだった事はあまり知られていない。

ついに、被爆から10年後の昭和30年頃には、建物が劣化してしまっており、崩壊寸前までになっていた。なぜなら、この原爆ドームの保存工事には住民の賛否両論があったため、その処遇が決められなかったのである。


被爆の瞬間を思い出してしまい辛い

当時の広島の住民の思い。それはこうだ。

原爆ドームを見るたびに原爆の瞬間を思い出すため撤去してほしい。

このシンプルな広島住民の思いは当然であったろう。そこで住む人々にしか分からない苦しく、辛い記憶と現実。これは、他の地域に住む人には、計り知れないものがある。

しかし、そんな時に、この広島の住民を動かした出来事があったそうだ。それが、被爆して白血病で亡くなった、ある一人の女学生の日記である。

二十世紀以後は、あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか?(16歳で亡くなった楮山ヒロ子さんの言葉)

https://www.hiroshima-navi.or.jp/post/033931.html

こんな言葉を残して、楮山ヒロ子さんは16歳という短い人生を終えた。

そして、この一人の女性の思いが世論を動かし、「広島折鶴の会」の子供達が保存に向けた募金活動を行い、被爆から21年後に原爆ドームの永久保存が決定したのである。

当時、残骸のまま風雨にさらされ傷みきった原爆ドームだったが、それらを補修し、今の状態を世に残している。それからは、2回の補修工事を経ているが、被爆の瞬間を可能な限りとどめるため、普通の工事とは異なる補修を行ってきたそうだ。

もともと散らばっていたレンガ一つも動かさず、奇麗に洗いすぎないように補修されている。当時の状態をできるだけそのまま保存する努力である。

つまりは、歴史の重さを、そのままの姿で伝える事が原爆ドーム保存の意義なのだ。


原爆ドームが心のささえ

本ブログ記事の冒頭で触れた、絵を描く紳士、原廣司さんは、こんな事を語っていた。

『原爆ドームが心の支えになっている』

原さんにとっては、原爆ドームから「生き続けよ」というメッセージを受け取っているのだそうだ。そして、次の時代に、この原爆の悲惨さを語り続けるために、これからも原爆ドームを描き続け、被爆体験を子供達に語っていくそうだ。

もし、原爆ドームが残っていなかったら。
もし、被爆直後に取り壊されていたらどうだっただろう。

様々な人々に悲しい記憶を現実として突きつけ考えさせるだけでなく、悲しみを超越し、生きるチカラをもらっている人までをも生み出す。こんなパワーを持つ遺構は、原爆ドームだけではないかと思ってしまう。

そして、色んな人たちの想いの元に、当時の状態で保存された原爆ドームのその存在が放っているメッセージを感じながら、そして伝えていかなければならないんだと思う。

私たちは、原爆ドームを見上げるたびに、白血病で亡くなっていったあの女学生の

『二十世紀以後は、あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか?』

という想いを胸にいだきながら、あのドームを見上げるのだ。

まだ、実際見た事の無い方は、是非、本物の原爆ドームを見てその空気を感じて欲しいと思う。「戦争」という言葉だけでは解釈できないなんとも言えない気持ちになるはずだから。

下記は、2013年に広島を訪れた時の写真です。(2019年追記)

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