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【旅コラム】秀吉の一夜城伝説とエメラルドブルーの相模湾

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秀吉の一夜城跡

神奈川県小田原市にある『石垣山 石垣山城』は、ほどよい小山の山上にある風光明媚な小田原の観光スポットです。

石垣山にある石垣山城とは、戦国時代の豊臣秀吉の小田原合戦における『一夜城伝説』そのものであり、歴史好きの方々にも愛されてやまない有名な場所とも言えるでしょう。

石垣山は箱根から派生する山のこと。その山上にある石垣山城は、関白豊臣秀吉が、1590年の小田原合戦の際に築いたお城でした。『石かけの御白』と言われていた記録があることから『石垣山城』と呼ばれるのだそうです。

石垣山城(一夜城)跡は、面積が約5.8ヘクタール、富士箱根伊豆国立公園(昭和11年2月1日指定)に指定されています。目の前に用意された駐車場に車を停めて、石段を登って森の中の石垣山城跡へと散策することができます。

こちらが石垣山城(一夜城)入り口の石段です。


小田原合戦の一夜城伝説

1590年、小田原の北条氏を攻めるため、京都を出発した豊臣秀吉。1ヶ月後には小田原城攻めを開始しました。箱根にある早雲寺(早雲寺のブログはこちら)を本陣として、石垣山に登り小田原城を眺望します。


この時、豊臣秀吉は小田原城を力づくで攻め落とすのは困難と判断し、長期戦を見据えて、この石垣山に城を築くことを決めます。

3月1日に京都を出てから、その後5月には石垣が完成、6月の末には本陣を石垣山に移しました。これを期に、秀吉は小田原城へと一気に鉄砲を撃ちかけ、北条氏を脅かしたといいます。

この城の築城にあたり、秀吉は林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張ることで白壁のように見せかけました。その後、一晩で周囲の樹木を伐採したことで、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったという伝説が残っています。

この手法が、『まるで一夜で城が築かれた』という伝説になり、『秀吉の一夜城』と呼ばれる由来になっているそうです。もちろん、城は一晩でできたわけではなく、この築城にのべ4万人が動員され、約80日間が費やされました。

当時、秀吉は、この城に淀君や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしていたそうです。城は長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、今も残された石垣などを観ることができます。


涼やかな森を散策

駐車場から石垣山城(一夜城)跡内に入ると、一気に木陰の森の中になります。木々が生い茂り、直射日光を防いでくれますので、比較的涼やかです。この日も暑い日でしたが心地よく過ごせました。

ベンチなども用意されていますのでお弁当を持ってきて食べても気持ち良いですね。森の中で子供が遊べるようにもなっています。比較的安全に探索ができるのと、親の目が行き届きやすいです。


相模湾を望む眺望

石垣山城(一夜城)のちょうど真ん中に展望台があります。ここから眺める相模湾が綺麗で、遠くに秀吉も眺望したとされる小田原城も見えます。この日は白潮の影響なのか相模湾がエメラルドブルーに輝いていました。

石垣に囲まれた石垣山城(一夜城)には、芝生の広場もありますので、ここで子供やペット連れでレジャーを楽しむ家族が多くいらっしゃいました。お天気の良い日は、ここでのんびり過ごすのも楽しいですね。

ぜひ、皆様も散策におでかけください。

ガイド案内

史跡 石垣山城のガイド案内があるそうです。小田原合戦と一夜城伝説を主体に、歴史的に貴重な石垣や、周辺施設の楽しみ方などを散策しながらガイドをしてくれるそうです。主催:NPO法人小田原ガイド協会(有料・要予約)

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