二十年に一度、社殿を新しく立替え、お遷りいただく式年遷宮。
今年、2013年10月に、この式年遷宮を控えた伊勢神宮にお伊勢参りに行って来た。
式年遷宮の歴史は古く、1300年前の飛鳥時代 天武天皇の時代から行われている伊勢神宮の大祭。
“繰り返す事によって、限りあるものを永遠なるものにする。
途切れず続く事の尊さ。それこそが日本の心である。”
と、式年遷宮の意味を解いてあった。
伊勢神宮の正式名称は、“神宮”。
古くから“神宮”といえば、伊勢神宮をさす。
それは、日本で最も古いお宮だからだ。
伊勢神宮は、内宮と外宮を中心として14箇所の別宮、109所の摂社・末社・所管社から成り立っている。まずは、外宮からのお参りが正しいとのことで、外宮からお参りすることにした。
外宮は豊受大神宮。
豊受大御神がおまつりされている。
御正殿は、日本古来の建築様式を伝えており、檜の素木を用いた高床作り。屋根は萱で葺かれている。
豪華な装飾などなく、周りを囲む杉の木と一体になっているかのようだ。
素朴、そして静寂という言葉がピッタリあう。
さすがに連休だけに人が多い。
きっと日頃は、杉に囲まれた静寂した空間なのだろうが、この日は、人々の賑いでざわざわとしていた。
それでも、杉の巨木は私達をゆっくり癒やす。
燦々と降り注ぐ暑い日差しをよけて、杉林は涼やかな木陰を作り、とても涼しい。
時々溢れる木漏れ日が、人々の心をほっとさせる。
10月の式年遷宮を控え、ほとんどの社は新しい神殿が完成していた。あちらこちらから香るヒノキの香りは、神様がお遷りいただくのを待ち焦がれているかのようにやさしく漂っている。真新しい社殿と、役目を終えようとする苔むした雰囲気のある古い社殿。まさに、移りゆく時代をつなぐコネクターのように見える。
外宮では、神の食事を奉るお祭りが1日2回行われているそうだ。食事は自給自足、ご飯・魚・鰹節・昆布などの季節の野菜や果物が並び、前日から籠もり身を清めた神職が火を起こし、清らかな水を汲んで調理しているとの事だった。
考えてみれば、私達は食べることで命を長らえている。そして、毎日口にしている食べ物は、そのほとんどが自然の恵みからわけさずかっているものだ。実りがなければ口にすることはできない。日ごろから、食べ物を食べるという行為をあたりまえにしており、それが恵みからいただいているものであることを意識しない。ここ外宮でのこのお祭りは、その“食事”を奉ることで、人々の命の源をお守りしているんだな、と感じた。
そもそも、“祭り”とは、神仏に物を献上したり、さし上げることが祭りの原義だと言われている。“たてまつる”と同じ意味の“奉る”と同源だという。お祭りとは、神聖なものなんだな、とここ外宮を訪れることで、より一層感じた。
そして、外宮からバスで数分の所にある内宮へ。
内宮には、日本国民の大御親神とあがめまつる皇祖 天照大御神がおまつりされている。天照大御神は、日本の八百万の神々の中で最高位に就いている。その歴史は古く、約2000年前に、この地に鎮座したと言われている。
域内には正宮と2つの別宮、8つの所管社がある。
正宮に行く前に、御手洗と呼ばれる祓いの場所で参拝する前に身も心も清める。五十鈴川の清流はとても美しく、澄んだ川の水は川底までくっきり見える。ひやっとする川の水で手を洗うと、本当に心が澄んでいく気がする。
正宮もまた静寂である。
式年遷宮の準備で、あちらこちらで工事されているが、その静けさはよく伝わってくる。
今、20年ごとに受け継がれてきた歴史のバトンの受け渡しの瞬間を迎えようとしている。
静寂に包まれた神々の歴史を、“神宮”で感じられた事をありがたく感じた。
静かで、とても静かで、何にも装飾されていないそのままの時代の風を感じに、皆様も伊勢神宮にお参り下さいませ。
詳しくはこちら http://www.sengu.info/