商売繁盛のお寺 豊川稲荷
わたしが、神社仏閣を好きな理由の一つに、“静けさ”がある。
年明けの三が日の初詣では長蛇の列をつくる神社仏閣も、普段はさほどの混雑もなく、しずかな木立に囲まれてひっそりと佇んでいる姿が厳かで美しい。
先日、愛知県の豊川稲荷にお参りしに行って来た。豊川稲荷は、その名称は知ってはいたものの、お参りするのは初めて。
実は詳しくは知らなかったのだが、豊川稲荷(とよかわいなり)は曹洞宗の寺院だとのこと。ほんと、知らなかった。
お稲荷さんといえば神社を連想するが、この豊川稲荷はお寺さんなのである。それが、実に驚きだった。正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。お稲荷さんなのにお寺だという、そんなネーミングに引き寄せられ、お参りに訪れてみた。
敷地内に入ると、一番最初に目につく古い門。
ものものしい歴史の風格のたたずまいが感じられる。
この山門は、今川義元が寄進した門で、この寺の建物の中では最も古い建物なんだそうだ。
みるからに格式高く、雰囲気が良い。
そしてその横には、大きな鳥居が建てられていた。この鳥居からも連想されるように、豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神として知られる。お寺なのに本当に神社のようだ。祀られる鎮守の稲荷(吒枳尼天)が有名なため、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られるとのこと。一瞬、お寺なのか神社なのかわからなくなり、お参りの作法が混乱してしまいそうになる。(笑)
そのまま境内を進むと本殿が見えてくる。しかし、本殿のみならず、周りに建てられている建物も神々しく、その佇まいがすばらしい。若干、陽が暮れかかる境内に落ちていく影までもが、その静寂とあいまって、心の奥に染みていくような感覚を感じる。
霊狐塚
本殿には、真っ赤で大きな提灯がぶらさがっていた。ものすごい迫力。
静かに一礼して、お賽銭を投げてお参りをする。
ふと見ると、本殿の柱にはご真言がはられていた。ご真言とは仏様の心理を説きその徳をたたえる短いお経。通常、サンスクリット語をそのまま音写したもの。ご真言が書かれているときは、きちんとそれを唱える事にしている。
この仏さんのご真言は『オン シラバッタ ニリ ウン ソワカ』。『オン シラバッタ ニリ ウン ソワカ』と唱えて、本殿をゆっくり見て廻った。
本殿から右に折れると、その奥に「霊狐塚」と「奥の院」があるそうだ。そのまま、木立を進んでみることにした。
「霊狐塚」や「奥の院」につながる道は、いっそう静寂に包まれている空間だった。
すっと伸びた杉の木立が、さらに神々しい。
周りの音をすべて吸い込むような杉の木の佇まいに、気持ちがほどけていく感じがする。神社仏閣の静寂の理由は、この杉にあるのではないかと思う。いつも、杉の木になんとも言えない癒やしを感じてしまう。
杉の木立沿いの道を折れながら進むと、狐の石像だらけの塚にたどりついた。
紅い布をさげた狐が、1,000体以上も並んでいる。その紅とキツネの姿に圧倒されてしまう。もとは納めの狐像を祀る場所だったのだが、現在では御信者の献納された像が安置されているのだそうだ。
いずれにせよ、すごい。。。。。
奥の院
霊狐塚から少し先にすすむと、『奥の院』がある。これまた、すばらしい。
まっすぐ立った2本の杉が、奥の院を守るように立っている。おもわず、それに見とれてしまった。
その杉をぬうように短い参道を歩いて、さらに厳かな『奥の院』で手を合わせる。
静かで、静かで、どこまでも神々しい。
ゆっくりとその空間で感じる癒やしを浴びながら、しばらく杉の木立の中で佇んでいたくなってしまった。
思わず空を見上げたら、杉の木が一層たくましく、そして凛とした姿を仰ぎ見る事ができた。杉の素晴らしさは、その仰ぎ見た時の風格にある。
『奥の院』でお参りした後は、また杉の木立をぬって岐路についた。
静けさに身をおく
日常は、いつも音に囲まれている。
それは、騒音でもあるし、対人関係における会話でもあるし、普段の生活に溶け込んだ生活音でもあったりする。
これらの様々な音からは逃れられず、いつもその音の中で日常をこなしているのである。
でも時々、こうして静かな所に身をおく事で、心に静寂を取り戻すことが、心のリフレッシュになるものだ。
わたしが、神社仏閣が好きな理由は、そこにある。